ヴァンパイア革命

愛、罪、信仰、芸術、革命

ウィーン・モダン展

 

 

国立国際美術館で開催されていたウィーン・モダン展へ、最終日に行ってきた。

福沢諭吉が学んだ緒方洪庵適塾中之島公会堂のライトアップも久しぶりに見たかったが、家を出るのが遅くなってできなかった。

美術館の最寄駅で、いかにもアートの好きそうなファッションをした若い女と目が合ったが、陰性症状で洗面もできずニキビ面になってしまったので、情けなくて目を伏せた。

駅構内の立ち食いそばの昼食後、煙草を吸わなかったのでカフェに入った。高級なカフェでコーヒーは高かった。オープンテラスで曇り空の下、煙草を吸いながら鳥居の「キリンの子」をパラパラめくった。やがて小雨がぱらついてきた。美術館へ向かった。閉館2時間ちょっと前に着いた。

本当はここに一緒に来るはずだったナイト君と、京都の美術館に一緒に行けなかった両親の事を想った。

障害者手帳」で入館料は只だった。

三月革命の絵があった。歴史上のいかなる革命も凌駕する偉大な無血革命を我々がするのだと、絵の前で燃えた。

中学か高校の教科書で見た「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議の絵があった。人物達は感情と特徴のない顔をしていた。軽蔑した。

ハンス・マカルトの絵はルーベンスを思わせる壮麗な筆致だった。神話に仮託したパレード等の絵。天才ではないが巨匠ではあった。

牛に乗った少年が道を歩く少女と話す農村の絵があった。光と幸福に満ちて素晴らしかった。

シューベルトシェーンベルクシュトラウスモーツァルトの絵、マーラーの彫像があった。クラシック音楽は詳しくないので特に深い想いはなかったが、天才達の顔付きを興味深く眺めた。

19世紀末のポスターが沢山あった。ミュシャがこの文脈にいたのを初めて知った。素晴らしかった。アールヌーボーの調度品や家具も美しかった。この時代のヨーロッパは非人道的でありながら、華麗で絢爛で美しい。

グスタフ・クリムトエゴン・シーレの絵は少なかった。クリムトやシーレの描く女性はエロティックだった。シーレのひまわりは確かに傑作だ。何を想って画家は枯れかけのひまわりを描いたのだろうか?クリムトの「パラス・アテナ」のアテナは、何も見ていないような絶望したような固まった眼をしていた。右手には小さな女が乗っていた。どういう意味があるのだろう?なぜアテナはそんな眼をしているのだろう?以前、アテナの神託の妄想があった。クリムトの金箔と日本の家紋のような独特の装飾は、ジャポニズムの影響を受けているのだろうか?ダナエを始めクリムトの描く女達の絵がもっと観たかった。

鑑賞者に、ショートカットの黒尽くめの服を着た凛とした若い女性がいた。背筋が伸びて、その人の纏う空気だけ他のオーディエンスと違った。観て周るタイミングが同じで度々隣にいた。ミュージアムショップで顔を見たが、美人だがどこかだらしない顔をしていた。まるで誰かの顔と入れ替わったみたいだった。近所のスーパーやコンビニで見かけたジャンヌ・ダルクみたいな女性の事を思い出した。彼女らはジャンヌ・ダルクの生まれ変わりなのだろうか?

同時開催されていたジャコメッティ展を、急いで観た。「ヤナイハラ」は美しかった。荒川修作の絵があった。何かの図にMOTHERという単語が2箇所書かれていた。草間彌生の網の目のような絵があった。卵を手にした写実画の背景が鏡になっている、誰かの絵があった。「産まれる事、自分、託される手。」何だこれは。

おそらくジャコメッティの伝記映像が流れていた。閉館間近であまり観なかった。貧しい彫刻家自身が貧しい母と別の人生を歩むようになったと、多分ジャコメッティが語っていた。父親はいないようだった。父と母の事が不安になった。

到着時と帰り際、国立国際美術館の独特な建築をスマホで写真に収めた。夕闇迫る曇天の下、蝶の羽のような形をした金属性のパイプが照明に浮かんでいた。

中央公会堂に向かって歩いたが、幻覚が出て、地下の駅に降りて帰路に着いた。頓服を飲んで、ヘルプマークを出して鞄に付け、優先座席で休んだ。幻覚は電車の中で治った。とても苦しかった。

私の街の駅の近くの定食屋で夕食を済ませて、コンビニへ寄った。同じ信仰をしている年下のメンバーと出会ったので、励ました。コンビニの喫煙所で煙草を吸っていると、店員さんがゴミ出しに来てウザそうに鼻を鳴らした。宗教が嫌いなんだろう。

帰宅して、疲れ切って長い事横になった。煙草を吸って、祈って、就寝した。

私は私の芸術が歴史に残るかなんて、その夜何も考えなかった。ただ、出会った人の事を考えていた。